皆さまは、慈悲(じひ)という言葉を使ったことがあるでしょうか。
慈悲深い、慈悲がない、慈悲を乞う(こう)など。
最近、利他という言葉とセットで慈悲を使うことがあるようです。
今回は、この慈悲に、喜捨(きしゃ)をつけた慈悲喜捨(じひきしゃ)について以下の観点で解説します。
- 心所における慈悲喜捨
- 慈悲喜捨の背景
- 慈悲喜捨の効果
- 慈悲喜捨を育てる方法
本記事の出所は、
自分を変える気づきの瞑想法【第3版】: ブッダが教える実践ヴィパッサナー瞑想
ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第3巻 心所(心の中身)の分析)
です。
心所における慈悲喜捨
ブッダの実践心理学では、仏教の聖典、三蔵(律蔵、経蔵、論蔵)の論蔵を構成するアビダンマ(論)について解説しています。
論蔵は、ブッダの教えに対する解釈・注釈書で、ブッダの教えの知識体系(Body of Knowledge)になります。
アビダンマでは、
心に溶け込んでいるさまざまな感情や衝動
を心所という名前で定義しています。
心とは対象を認識する働きのことで、心は、そこに溶ける心所によって分類することができます。
例えば、心が水だとすると、水は溶けるもの(心所)によって紅茶やコーヒーなど種類が違ってきます。
さて、心所の分析では、心所を以下のように、大きく3種類、全体で52種類に分類しています。
- 同他心所(13種類)
どんな心にも必ず生まれる心所。 - 不善心所(14種類)
悪い(不善である)心所。 - 浄心所(25種類)
清らかな心所。
さらに、浄心所は、以下のように分類されています。
- 共浄心所
善い心には必ずある心所。 - 離心所
八正道のうち戒律に関係する正語、正業、正生に関する心所。 - 無量心所
限りなく広げてよい心所。 - 慧根心所
智慧に関する心所。
慈悲喜捨は、このうち、限りなく広げてよい無量心所に属します。
それでは、一つ一つ見ていきましょう。
慈
慈とは、「幸せになってほしい」と思いやる心です。
ただ、仏教の場合、無量の心なので、人だけでなく、一切の生命に対する思いやりになります。
慈の心を育てる実践をしましょう。
慈の心が成長すると、怒りが現れなくなります。
悲
悲とは、苦しみをなくしてあげたくなる心です。
親しい人には、助けてあげたいという気持ちが生まれますが、仏教の場合、無量の心なので、人だけでなく、一切の生命に対する気持ちになります。
お釈迦様は、生きることが自体が、苦しいことだと説きます。
一つ一つの生命、それぞれが、それぞれの苦しみを持っているのです。
このどうしようもない苦しみをなくしてあげたい、という気持ち、これが悲です。
悲の心を育てる実践をしましょう。
悲の心が成長すると、恨み、憎しみ、落ち込みが機能しなくなります。
喜
喜は、人の幸せを見て、一緒に喜ぶ心です。
なので、悲とは正反対の心です。
親しい人に対する喜びは生まれますが、仏教の場合、無量の心なので、人だけでなく、一切の生命に対する気持ちになります。
人の成功に対して嫉妬すると、嫉妬という悪行為が業となって、自分を失敗に導きていきます。
人が成功したのは、その人が日々努力した結果なのだなと、一緒に喜ぶことができれば、それが自分の善行為にもなります。
喜の心を育てる実践をしましょう。
喜の心が成長すると、嫉妬がなくなり、明るくなります。
捨
最後は、捨です。
捨は、一切の生命に対する平等な心です。
普通の心は自分と他を区別します。
この区別から差別が生まれます。
差別から競争が生まれます。
捨の心を育てる実践をしましょう。
捨の心が成長すると、穏やかになり、争いがなくなります。
慈悲喜捨の背景
次に、慈悲喜捨の背景には何があるのか説明します。
慈悲喜捨の背景には、生命は一つのネットワークでできているという真理があります。
これは、慈悲喜捨だけではなく五戒の背景にもなります。
人が生きているということは、他の生命との関わりです。
私たちの体の中にもいろいろな生命がいます。
それが互いに仲良く、協力しあって生きているのです。
つまり、他の生命の協力がないと一瞬たりとも生きていられないのです。
他の生命から協力を受けているということは、自分も他の生命に協力する必要があります。
協力をやめた時点で、ネットワークからはじき出されて生きる権利を失ってしまいます。
生命を構成するネットワークに協力して幸せに生きる、というのが慈悲喜捨や五戒の考え方です。
慈悲喜捨の効果
慈悲喜捨を育てることによって、怒り、恨み、憎しみ、落ち込み、嫉妬がなくなり穏やかで幸せになる、といいました。
ここでは、業(ごう)という観点で、なぜ、幸せになるのか見ていきましょう。
自業自得という言葉があります。
これは、
- 善い行為は、善い結果を招いて
- 悪い行為は、悪い結果を招く
という意味です。
仏教では、業とは行為の結果現れるポテンシャルエネルギーのようなものだと説きます。
- 善い行為の結果を善業
- 悪い行為の結果を悪業
といいます。
ここで、心の中に待ち行列のようなものがあると想像してください。
善い行為をすると、この待ち行列に善業がたまり、悪い行為をすると悪業がたまります。
善業は、条件が整ったタイミングで善い結果となって現れ、悪業は、条件が整ったタイミングで悪い結果となって現れます。
善い結果は、人を幸福にし、悪い結果は、人を不幸にします。
この待ち行列ですが、悪業よりも善業の方が優先順位が高くなります。
なので、たくさん善い行為を行えば、善業が悪業の前に溜まっていき、悪業が働くタイミングを逸失させてしまいます。
そのうち、寿命が尽きて、結果的に、人生は幸せだったということになります。
さて、慈悲喜捨を育てる行為ですが、これは代表的な善行為です。
なので、慈悲喜捨を育てれば、育てるほど、幸せになっていくのです。
慈悲喜捨を育てる方法
それでは、どのようにして慈悲喜捨の心を育てればよいのでしょうか。
その方法が、慈悲の瞑想です。
人は誰でも自分が一番大切です。
仏教では、この事実を素直に認めます。
次に、自分の親しい人が大切です。
これも事実です。
なので、慈悲の瞑想は、この二つの事実を受け入れた後に、無量の世界に入っていきます。
つまり、生きとし生けるものの幸せを願うのです。
それでは、
自分を変える気づきの瞑想法【第3版】: ブッダが教える実践ヴィパッサナー瞑想
にある慈悲の瞑想を紹介します。
心をこめて以下の文章を唱えます。
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回繰り返します)
ここで、「私は幸せでありますように」と心の中でゆっくり念じます。私の親しい生命が幸せでありますように
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
私の親しい生命にも悟りの光が現れますように
私の親しい生命が幸せでありますように(3回繰り返します)
ここで、「私の親しい生命が幸せでありますように」と心の中でゆっくり念じます。生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回繰り返します)
ここで、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と心の中でゆっくり念じます。
以上、今回は、慈悲喜捨について解説しました。