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四聖諦とは何か【わかりやすく解説します】

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仏教、つまり、ブッダの教えの中に四聖諦(ししょうたい)があります。
皆さんの中にも聞いたことがあるという方がいらっしゃるのではないでしょうか。
ここでは、この四聖諦について以下の観点で解説します。

  • 四聖諦とは
  • 苦諦とは
  • 集諦とは
  • 滅諦とは
  • 道諦とは

参考

四聖諦とは

四聖諦とは、お釈迦様が発見した以下の4つの真理のことです。

  • 生きることは苦しみである
  • 苦しみには原因がある
  • 苦しみは無くすことができる
  • 苦しみを無くす方法がある

それぞれ、

  • 苦諦(くたい)
  • 集諦(じったい)
  • 滅諦(めったい)
  • 道諦(どうたい)

といいます。
まず、この諦(たい)ですが、通常、諦(あきら)める、つまり、断念するという意味ですが、
本来の意味は、
詳(つまび)らかにする、つまり、明らかにする
という意味だそうです。
つまり、
真実を明らかにすることによって断念する
ということです。
そう考えると、四聖諦とは
生きることは苦しみである
苦しみには原因がある
苦しみは無くすことができる
苦しみを無くす方法がある
という真実を明らかにして断念する
という意味があるということになります。

一つ一つ見ていきましょう。

苦諦とは

お釈迦様は最初に
生きることは苦しみである
とおっしゃっています。
これを聞いて、仏教は暗い、虚しいと考える人もいるでしょう。
しかし、ブッダの教えは、資本主義とか共産主義などの思想や哲学ではなく「真実」だということです。
考え方が暗いとか明るいでなく、ただ、真実を示しているのです。
なので、明るいも暗いもありません。
さて、ここではっきりさせる必要があるのは、
苦しみもある
ではなく、
苦しみである
といっていることです。
人生、苦しいこともあれば楽しいこともあるということではありません。
生=苦
と言い切っているのです。
しかも、人生ではなく「生きること」ということは、人だけではなく、あらゆる生命にとっての真実ということを意味しています。
仏教は、人だけでなく、生きとし生けるものすべてに共通する真実を表しているということです。
生命=苦です。
この「苦」ですが、お釈迦様も使われていたといわれているパーリー語で「dukkha(ドゥッカ)」といい、世間一般でいう「苦しい」という意味だけではなく、「虚しい、満足できない、不完全」という意味もあるそうです。
何か良いことがあっても、何かを達成しても「まだ何かが足りない」「いま一つ」と感じて満足できないのは、まさに「dukkha(ドゥッカ)」なのです。
それでは、もう少し具体的に考えてみましょう。
お釈迦様は苦しみを、生、老、病、死の4つと、以下の4つに分類しました。

  • 愛別離苦(あいべつりく)
  • 愛するものと別離すること。

  • 怨憎会苦(おんぞうえく)
  • 怨み憎んでいる者に会うこと。

  • 求不得苦(ぐふとくく)
  • 求める物が得られないこと。

  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
  • 人間の身体や心が思うがままにならないこと。

これを「四苦八苦」といいます。
まず、生、老、病、死ですが、これは生きるプロセスです。
老いていくこと、病気になること、死ぬことが楽しみという人はいないでしょう。
すべて苦しみですよね。
しかし、生まれることがなぜ苦しみなのでしょうか。
老いて、病気になって、死ぬことは生まれることに起因します。
そう考えると、生は苦の始まりになります。
生老病死という生きるプロセスが「苦」であるということは、まさに、生きることは「苦」であることを意味します。
続いて、後の4つの苦のうち、最初の3つは理解できると思います。
まず、愛別離苦(あいべつりく)、
愛する人と永遠に一緒にいることはできませんから、必ず別れという苦があります。
これも真実です。
次に、怨憎会苦(おんぞうえく)、
いやな人と一緒になって苦しむことも真実ですね。
次に、求不得苦(ぐふとくく)、
求めるものが得られない、ですが、次から次へ求めるものがでてきて満足することはないですよね。
最後の五蘊盛苦の五蘊ですが、これは、お釈迦様が発見された、生命を構成する次の5つの要素のことです。

  • 色(しき)
  • 物質。

  • 受(じゅ)
  • 感覚。

  • 想(そう)
  • 概念。

  • 行(ぎょう)
  • 意志。

  • 識(しき)
  • 認識。

色は身体、残りは心になります。
身体も心も勝手に変化して思うようになりません。
この五蘊が「苦」になります。
身体は勝手に衰えます。
感覚によって苦痛を感じます。
妄想も想の一種ですが、怒りや欲が妄想を発生させます。
何かの行為が苦の原因にもなります。
これらには認識が伴います。
五蘊は、生命を構成する要素なので、五蘊が苦ということは、生命そのものが苦ということになります。
つまり、苦があるから生きているということになります。
これが
生=苦
であり、
苦=生
なのです。
なお、五蘊が苦であることはヴィパッサナー瞑想によって発見することができるということです。
ヴィパッサナー瞑想とは、「今の瞬間」自分が何をやっているのか「念(サティ)」を持ってありのままに観る方法のことです。
お釈迦様は、ヴィパッサナー瞑想を開発し、四聖諦を発見されました。

「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリは、「21 Lessons」、つまり、21世紀に人類が抱える課題の結論としてヴィパッサナー瞑想をあげています。

本当にそうなのか、自分でも確かめてみましょう。
まず、最も基本的な動作である呼吸。
なぜ、息を吸ったり吐いたりするのか、観察してみましょう。
生物学的には、身体中に酸素を運ぶなど色々理屈はあるでしょうが、結局、苦しいから呼吸をしていることが確認できると思います。
次に食事。
お腹が空くからご飯を食べる。
お腹が空くのは「苦」ですね。
ご飯を食べると満たされて「苦」が減りますが、今度は、お腹が張って苦しくなりませんか。
同じように、立つこと、歩くこと、座ることも観察してみましょう。
この観察すること、これが、ヴィパッサナー瞑想なのです。
ヴィパッサナー瞑想のやり方について、さらに、詳しく知りたい方は
自分を変える気づきの瞑想法【第3版】: ブッダが教える実践ヴィパッサナー瞑想

をお勧めします。
動画でも解説しています。
ヴィパッサナー瞑想のやり方


ヴィパッサナー瞑想によって「確かに、お釈迦様が説かれたように生=苦である」と発見できたら「悟る」そうです。
※「悟り」とは何か神秘的なものではなく、完全に安定し二度と悩み苦しみが生まれない心の状態のことです。

集諦とは

次に、お釈迦様は
苦しみには原因がある
とおっしゃっています。
苦しみが生まれる原因は何でしょうか。
それは「渇愛」(tanha:タンハー)だとお釈迦様はおっしゃっています。
「苦しみをなくすこと」とう書籍では、苦しみが生まれ続けるメカニズムを以下のように説明しています。

  • 「苦」がある
  • すると「怒」(それを引き離そうとする力)が働く
  • それによって「苦」が減る
  • すると「欲」(もっと引きつけようとする力)が出る
  • それによって「苦」が生まれる

これをシステム思考の因果ループで描くと次にようになります。

この因果ループが永遠と輪廻(りんね)するのです。
※この場合、収束するのではなくスパイラルしていきます。
まさに「苦があるから生きている」ですね。
呼吸をする、歩く、食べるなど動きを観察すると、苦(不安定)をなくす(安定にする)ために動いている(生きている)ことがわかります。
生きるとは物理的に言うと「エントロピー(乱雑さ)の増大を抑えようとしてる」行為なのでしょうか。
お釈迦様は「肉体は色んなことをしているが、結局、ただ伸びたり縮んだりしているだけだ」とおっしゃったそうです。

ここで、確かに「苦」があるのはわかるけど、「苦」だけでなく「楽」もあるではないか、と思う方もいらっしゃると思います。
人生、苦しいこともあれば楽しいこともある、と言いますよね。
実は、先ほどの因果ループで「苦」が減るところがありますが、「苦が減る」ことを「楽しい」と感じるそうです。
楽=ー苦
ということです。
「苦」が減る(楽しいと感じる)ことによって「欲」がでる、これが「渇愛」です。
この「渇愛」によって「苦」が生まれるのです。

滅諦とは

次に、お釈迦様は
苦しみには原因があるのであれば
それを無くすことができる
とおっしゃっています。
先ほどの苦しみが生まれ続けるメカニズムですが「欲」の部分「渇愛」を無くせば因果ループがとまります。
これが「悟り」です。

道諦とは

最後に、お釈迦様は
苦しみ無くす方法
について説かれています。
それは「八正道(はっしょうどう)」です。
八正道とは、苦を無くすための以下の8つの実践方法です。

  • 正見(しょうけん)
  • 正思惟(しょうしゆい)
  • 正語(しょうご)
  • 正業(しょうごう)
  • 正命(しょうみょう)
  • 正精進(しょうしょうじん)
  • 正念(しょうねん)
  • 正定(しょうじょう)

世間一般では何かを加えることで幸せになると考えています。
マイホームを持つ、マイカーを持つ、家庭を持つ、、、
ブッダ流幸せ道は、
足すことで幸せになる道ではなく、
引くことで幸せになる道なのです。

一つ一つ見ていきましょう。

正見

正見とは正しい見解のことで、具体的には、

  • 苦についての智慧(苦諦についての智慧)
  • 苦の生起についての智慧(集諦についての智慧)
  • 苦の滅尽についての智慧(滅諦についての智慧)
  • 苦の滅尽にいたる行道についての智慧(道諦についての智慧)

のことです。
智慧(ちえ)とは、物事をありのままに観る能力のことです。
なので主観である知識とは違います。
知識は欲を満たすために増やすので、いくら知識を増やしても幸せにはなりません。
知識として得た○○主義などの思想や哲学はすべて邪見(誤った見方)になり、それに固執すると正見の妨げになり、ますます不幸になるということです。
さて、物事をありのままに観ることのできない状態を無明(むみょう)といいます。
私たちが普通に生活しているときは、魚が水の中で生活しているように、無明の中にいます。
それでは、どうすれば智慧をつけることができるのでしょうか。
その方法がヴィパッサナー瞑想です。
ヴィパッサナー瞑想(修行)によって、智慧を開発することができます。
ヴィパッサナー瞑想によって、「悟り」(完全に安定し二度と悩み苦しみが生まれない心の状態)を得ることができるのです。

正思惟

思惟とは思考のことなので、正思惟とは、正しい思考ということです。
正しい思考とは

  • 欲を離れた思考
  • 怒りのない思考
  • 害意のない思考

です。
仏教では智慧を妨げる心の働きを煩悩(ぼんのう)といいますが、この煩悩の代表的なものが貪瞋痴(とんじんち)で三毒といいます。

  • 貪(とん)
  • 貪欲(とんよく)ともいい、欲、むさぼり求める心のことです。

  • 瞋(しん)
  • 瞋恚(しんに)ともいい、怒りの心です。

  • 痴(ち)
  • 思慮分別のない心です。
    いわゆる思考停止の状態ですね。

この貪瞋痴によってする思考が、正思惟の反対、邪思惟です。
例えば、私たちは気がつけば妄想していますが、この妄想は、欲、怒り、痴から発生するので邪思惟です。
ビジネスをする場合で考えると、どうすれば儲けられるかと考えると欲による邪思惟になるので、欲を離れて、どうすれば人を助けられるかと考える必要があるということになります。
意識的に邪思惟を止めて正思惟を実践することで幸せに近づいていくということです。
ちなみに、貪瞋痴の逆を不貪(ふとん)、不瞋(ふしん)、不痴(ふち)といい善行為になります。

  • 不貪(ふとん)
  • 欲がない心の状態で、例えば、施し、つまり相手に物や時間を提供する心です。

  • 不瞋(ふしん)
  • 怒りがない心の状態で、例えば、慈悲の心があります。
    慈とは、慈(いつく)しみの心、つまり、相手を思いやり大切にする心です。
    悲とは、苦しんでいる人々の苦しみを無くしてあげたくなる心です。
    それから、この慈悲に次の喜捨を加えた慈悲喜捨(じひきしゃ)を、仏教では四無量心(しむりょうしん)といい積極的に育てることを推奨しています。
    喜とは、人の幸福に共感する(一緒に喜ぶ)心です。
    捨とは、一切の生命に対する平等な気持ちです。
    慈悲喜捨(じひきしゃ)を育てるためには慈悲の瞑想が効果的です。
    人間関係がうまくいく慈悲の瞑想

  • 不痴(ふち)
  • 理性が働き論理的に考えられる心の状態です。
    論理的に考える方法についてはロジカルシンキングを参考にしてください。

正語

正しい言葉を使うことです。
そのために以下から離れるように努める必要があります。

  • 妄語(もうご)
  • 嘘。

  • 両舌(りょうぜつ)
  • 仲間割れをさせる言葉。

  • 悪口(あっく)
  • 相手をいやな気持ちにさせる言葉。

  • 綺語(きご)
  • 無駄話。

正業

正しい行いをすることです。
正しい行為をするためには以下を避ける必要があります。

  • 生命を殺すこと
  • 盗むこと
  • 過度な性行為

先ほどの不貪(ふとん)、不瞋(ふしん)、不痴(ふち)は善行為になります。

正命

正しい職業につくことです。
仏教では以下の職業は悪い職業としているそうです。

  • 武器の製造販売
  • 酒や麻薬の製造販売
  • 生き物の売買

正精進

正しい努力をすることです。
具体的には、

  • いままで犯したことがある悪い行為を、二度としないように精進すること
  • いままで犯したことがない悪い行為を、これからもしないように精進すること
  • これまでしたことがある善い行為を、さらに行うように精進すること
  • まだしたことがない善い行為を、これから行うように精進すること

正念

身(身体)、受(感覚)、心、法(法則)に対して念(サティ)を入れて観察することです。
つまりヴィパッサナー瞑想することです。
この4つに念を入れてヴィパッサナー瞑想する方法について知りたい方は
大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

をお勧めします。

正定

正しく心を定めることです。
つまり、心が様々な対象にさまよって走り回ることなく、1つの対象に集中している状態をつくることです。
これを禅定(Samadhi:サマーディ)といいます。
禅定をつくる瞑想をサマタ瞑想といい、ヴィパッサナー瞑想とは区別しています。
サマタ瞑想をすることで禅定はつくれますが「悟り」を得ることはできないそうです。
座禅、念仏、ヨガ、メディエーションミュージックはすべてサマタ瞑想に分類されるそうです。
なお、ヴィパッサナー瞑想を行う過程で禅定も得られるということです。

以上、今回は、四聖諦について解説しました。
動画でも解説しています。

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