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心を分類する【貪瞋痴の正体】

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前回、お釈迦様が発見された4つの真理、四聖諦について解説しました。
今回は、
ストレスや悩み苦しみから解放されたいという方
を対象に
心を分類する
というテクニックについて解説します。

これは、書籍「反応しない練習」にも書かれており、
ストレスや悩み苦しみを抑えるための有効な技術
だと思います。
反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

本記事の出所は、サンガ出版から出ている
「ブッダの実践心理学 第三巻 心所(心の中身)の分析」
です。
アビダンマ講義シリーズ〈第3巻〉心所(心の中身)の分析―ブッダの実践心理学

ブッダの実践心理学では、仏教の聖典、三蔵(律蔵、経蔵、論蔵)の論蔵を構成するアビダンマ(論)について解説しています。
論蔵は、ブッダの教えに対する解釈・注釈書で、ブッダの教えの知識体系(Body of Knowledge)になります。
今回は、アビダンマの中の心所を分析したところが対象となりますが、この心所とは
心に溶け込んでいるさまざまな感情や衝動
のことです。
心とは対象を認識する働きのことで、心は、そこに溶ける心所によって分類することができます。
例えば、心が水だとすると、水は溶けるもの(心所)によって紅茶やコーヒーなど種類が違ってきます。

さて、心所の分析では、心所を以下の52種類に分類しています。

  • 同他心所(13種類)
    どんな心にも必ず生まれる心所。
  • 不善心所(14種類)
    悪い(不善である)心所。
  • 浄心所(25種類)
    清らかな心所。

今回は、このうち不善心所について見ていきましょう。
不善心所は、さらに、以下のように分類されます。

  • 貪(3種類)
    貪り(欲)の心所。
  • 瞋(4種類)
    怒りの心所。
  • 痴(7種類)
    真理を知らない愚かな心所。

私たちが抱くストレスや悩み苦しみは、これら不善心所に起因して発生します。
なので、不善心所を治めることで、ストレスや悩み苦しみを抑えることができます。
それでは、どうすれば、不善心所を治めることができるのでしょうか。
それは、心を常に観察し、心に湧き上がった不善心所を分類し確認するのです。
例えば、心に欲が生じたら、「欲、欲、、、」と心の中で確認します。
すると、自然と欲が消えていきます。
不思議ですが、これは、心の法則だということです。
モグラ叩き(たたき)のようですよね。
ただ、叩き方が「分類して確認する」という方法なのです。
ここで注意していただきたいのは、貪瞋痴(とん・じん・ち)が出たとき「潰してやる!」など余計な感情を抱かず、ただ、事実を淡々と確認する、ということです。
余計な感情は、新な貪瞋痴になりますので注意するようにしましょう。
なお、「分類して確認する」ことは、前回説明した四聖諦の八正道のうち正念の実践になりますし、貪瞋痴を抑えた思考は正思惟になります。
また、これを意識的に続けることは八正道の正精進の実践になりますし、その過程で真理を発見したら正見になります。

それでは、一つ一つ見ていきましょう。

貪の分類

アビダンマでは、貪り(欲)の心所をさらに以下の3つに分類しています。

それぞれ見ていきましょう。

貪は、欲ですが、もう少し本質的に見てみましょう。
仏教では、私たちは眼・耳・鼻・舌・身・意という6つのチャネルで認識していると説きます。
このうち眼・耳・鼻・舌・身の5つはわかると思います。
6つめの「意」とは何かというと意識の意です。
私たちは気がつけば妄想していますが、これは、意に何かが触れて生じているのです。
さて、「貪」とは、眼・耳・鼻・舌・身・意に何かが触れた時、
受け入れようとする働き
引きつけようとする働き
のことなのです。
例えば、音楽が聞こえてきたとき
「いい音楽だ」
と思ったら「貪」が働いているのです。
心に「貪」が生じたら
「貪が出てきた」
「貪がある」
と心の中で確認し、
心から「貪」が消えたら
「貪が消えた」
と確認しましょう。

次に「見」ですが、これは見解のことです。
私たちは日頃「これはこう思う」と意見を言います。
仏教では、無明(物事をありのままに観れない状態)の中にいる人が考える見解はすべて間違った見解(邪見)とみなします。
さらに悪いことに、自分の意見や〇〇主義などの思想に固執してしまうと智慧(物事をありのままに観る能力)の妨げになり、さらにストレスや悩み苦しみを増強させてしまいます。
心に「見」(意見や考え)が生じたら
「見が出てきた」
「見がある」
と心の中で確認し、
心から「見」が消えたら
「見が消えた」
と確認しましょう。

次に「慢」ですが、これは計る、比べるということです。
私たちは通常、自分と他人を比べて、どっちが勝っているなどの判断をします。
これが、ストレスや悩み苦しみの基になるのです。
なお、自分と他人を比べるとき、
自分>他人
自分=他人
自分<他人
は、すべて「慢」になります。
心に「慢」が生じたら
「慢が出てきた」
「慢がある」
と心の中で確認し、
心から「慢」が消えたら
「慢が消えた」
と確認しましょう。

瞋(しん)の分類

アビダンマでは、怒りの心所をさらに以下の4つに分類しています。

  • 嫉妬
  • 物惜しみ
  • 後悔

それぞれ見ていきましょう。

さて、「瞋」とは、眼・耳・鼻・舌・身・意に何かが触れた時、
拒もうとする働き
引き離そうとする働き
のことなのです。
例えば、音楽が聞こえてきたとき
「いやな音楽だ」
と思ったら「瞋」が働いているのです。
心に「瞋」が生じたら
「瞋が出てきた」
「瞋がある」
と心の中で確認し、
心から「瞋」が消えたら
「瞋が消えた」
と確認しましょう。

嫉妬

嫉妬とは、
人の幸福、楽しみ、成功、能力などを認めたくない、受け入れたくないという気持ち
です。
嫉妬は、見るもの聞くものが自分の状況より勝っている場合、生まれます。
例えば、自分より能力がある人物がいても、それを受け入れたくない場合、嫉妬が働いています。
心に「嫉妬」が生じたら
「嫉妬が出てきた」
「嫉妬がある」
と心の中で確認し、
心から「嫉妬」が消えたら
「嫉妬が消えた」
と確認しましょう。

物惜しみ

物惜しみは、
自分のものを他人に分けてあげたくない気持ち
です。
いわゆる「ケチ」ですね。
心に「物惜しみ」が生じたら
「物惜しみが出てきた」
「物惜しみがある」
と心の中で確認し、
心から「物惜しみ」が消えたら
「物惜しみが消えた」
と確認しましょう。

後悔

後悔は、文字通り、後から悔やむことです。
自分が何かやったことについて、「ああ悪いことをしてしまったなあ」と思ってしまうと暗くなりますよね。
自分が何かやらなかったことについて、「ああやっておけばよかったなあ」と思ってしまうと暗くなりますよね。
失敗してしまったら、冷静に何が原因で失敗したのか反省して、同じ過ちを繰り返さないように努力するのは善い心の働きだそうです。
仏教では反省することを懺悔(さんげ)といいます。
懺悔はポジティブ志向で、後悔はネガティブ志向です。
後悔せずに懺悔せよ、ですね。
心に「後悔」が生じたら
「後悔が出てきた」
「後悔がある」
と心の中で確認し、
心から「後悔」が消えたら
「後悔が消えた」
と確認しましょう。

痴の分類

アビダンマでは、思慮分別のない愚かな心所をさらに以下の7つに分類しています。

  • 無慚
  • 無愧
  • 掉挙(じょうこ)
  • 惛沈(こんじん)
  • 睡眠

それぞれ見ていきましょう。

痴とは無知のことです。
無知とは、無明ともいい、
物事をありのままに観ることができない状態
のこと。
つまり、
真理がわからない愚かな状態
のことです。
例えば、私たちは気がつけば妄想していますが、これは、無知の状態になっているということになります。
無知、無明が破れると智慧(物事をありのままに観る能力)が現れます。
心に「痴」(例えば無意味な妄想)が生じたら
「痴が出てきた」
「痴がある」
と心の中で確認し、
心から「痴」が消えたら
「痴が消えた」
と確認しましょう。

無慚(むざん)

まず「慚」とは「恥」のことです。
なので、無慚とは
恥のない心の状態
のことです。
悪いことをするのに「何の恥も感じない」。
これが無慚です。
私たちは、恥(慚)を感じる心があるから、悪いことしないようにコントロールできているのです。
心に「無慚」が生じたら
「無慚が出てきた」
「無慚がある」
と心の中で確認し、
心から「無慚」が消えたら
「無慚が消えた」
と確認しましょう。

無愧(むき)

まず「愧」とは「恐れ」のことです。
なので、無愧とは
恐れのない心の状態
のことです。
悪いことをするのに「何の恐れも感じない」。
これが無愧です。
私たちは、恐れ(愧)を感じる心があるから、悪いことしないようにコントロールできているのです。
心に「無愧」が生じたら
「無愧が出てきた」
「無愧がある」
と心の中で確認し、
心から「無愧」が消えたら
「無愧が消えた」
と確認しましょう。

掉挙(じょうこ)

掉挙とは
まったく集中力がない混乱状態
のことです。
例えば、人前で発表するとき「あがってしまう」ことがありますよね。
これが掉挙です。
掉挙の状態だと何をやっても上手くいきません。
なお、人が不善行為をするとき、その瞬間は掉挙になっているそうです。
自己観察すると、妄想が始まる前には掉挙の状態になっていることを発見することができます。
心に「掉挙」が生じたら
「掉挙が出てきた」
「掉挙がある」
と心の中で確認し、
心から「掉挙」が消えたら
「掉挙が消えた」
と確認しましょう。

惛沈(こんじん)

惛沈とは、
心が縮んでいるような状態
です。
縮まって下を向いて、心が萎えている(なえている)状態です。
心に「惛沈」が生じたら
「惛沈が出てきた」
「惛沈がある」
と心の中で確認し、
心から「惛沈」が消えたら
「惛沈が消えた」
と確認しましょう。

睡眠

睡眠とは眠気のことです。
世間一般では睡眠を推奨していますが、仏教では睡眠は心の成長を抑える働きがあるため不善としています。
心に「睡眠」が生じたら
「睡眠が出てきた」
「睡眠がある」
と心の中で確認し、
心から「睡眠」が消えたら
「睡眠が消えた」
と確認しましょう。

疑とは、
何もはっきりとわからない鈍さ
のことです。
例えば、しっかりした理屈や根拠もなく、ただ、「私はそんなこと信じません」という場合、「疑」が生じています。
いわゆる、思考停止状態ですかね。
疑も睡眠同様、心の成長を抑える働きがあるため不善になります。
心に「疑」が生じたら
「疑が出てきた」
「疑がある」
と心の中で確認し、
心から「疑」が消えたら
「疑が消えた」
と確認しましょう。

以上、今回は心を分類する方法について解説しました。

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  1. […] きところを露出する 酒に酔うと、恥を知らない人間になるということです。 心を分類する【貪瞋痴の正体】という記事で、恥のない心を、無慚(むざん)といいましたが、まさに、酒 […]

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